運営者プロフィール

金子徹郎/TETSURO KANEKO

Webディレクター兼Webデザナーとして今もWeb制作を行いながら、Webマーケティングの検証を日々楽しくしているインターネットオタクでもある「TOTAL CREATIVE ENTERTAINMENT INC.」の代表取締役社長 金子徹郎と申します。

実は僕は、2006年にミュージカル俳優・バックダンサー・ダンスインストラクターという全くの異業種から、スキル無し・コネ無し・実務経験無し、社会人経験無しという、正に無い無い尽くしの状態から、独学でWeb制作を学び、Webデザイナーになる。3年で独立し2年後の2012年3月に法人化を実現しました。

 

15歳から29歳までは芸能の世界にいました

僕自身29歳まで「正社員」という社会人経験は一度もありませんでした。何故ならば15歳から29歳まで舞台を中心とした芸能の世界にいたからです。ファミリーミュージカル・テレビ番組のバックダンサー・ダンスのインストラクターとしてギャランティーを頂きながら活動しておりました。

24歳の時に舞台の世界で2度の主演のチャンスを頂き全国公演なども回っていた時期もありました。その時に一度僕は天狗になってしまい問題を起こしてしまいました。

その事件をきっかけに「この歳になって人しての筋も通せないなんて人間として終わっている!」という危機感を募らせ、純粋にエンターテインメントを追求でき、人間性も叩き直せれる場所を探していました。

そして沖縄に住んでいた叔父のお陰で25歳の時に、沖縄アクターズスクールのマキノ正幸会長との出会いが、僕の人生にで大きな衝撃を与えてくれました。そして、仕事を通して築き上げてきた人間関係も当時の恋人も全て捨てて、沖縄のその環境に飛び込みました。当時借金もあったので確実に収益になる労働収入で資金を作り、7ヶ月間で借金を完済し200万の自己資金も作り沖縄に飛びました。

 

26歳の時に出会ったインターネット

沖縄に住んでいた時に、許可を得て自分主体で作ったチームに掛かるお金は、全て自腹で全て自己投資してしまった為、たった1年で200万弱あったお金を吐き出してしまいました。折角見つけた運命の人達・環境に出会う為に沖縄に行ったのに、沖縄の時給六百円の世界で時間を無駄にしたくないという強い思いがありました。

だから僕は「何とかインターネットで稼げないか?」検証をはじめました。ネットで稼ぐ事しか選択していなかったから、夏休みはトレーニングとレッスン以外の時間は全て調査と検証に費やした結果、Yahoo!オークションの転売ビジネスが上手くいき1日1時間の作業で余裕で生活を出来るようになりました。

 

インターネットでビジネス展開を目標に独学開始

沖縄アクターズスクール在籍中、様々な才能溢れる若いエンターテイナーと出会い日々共に切磋琢磨していく中、10代の頃から3〜4時間睡眠で起きている時間はほぼ全てダンス・演技・歌のレッスンやトレーニング、エンターテイメントに繋がる時間にしていました。だからこそ、自他共に努力と行動量は負けない自信がありました。

しかし、アカペラでバックバンドの演奏が聞こえてくる次元の歌を歌われる方や、レッスン初日から運動神経もリズム感も抜群にある方々と日々レッスンを共にしていく中で、土台としての才能がある方達が、僕と同じくらい行動量をしていて質の高いレッスンやトレーニングの積み重ねをしているのを日々感じていく中、どうしても超えられない【才能の壁】を29歳の時に強く感じ芸能の世界を去ることに決めました。

そして、第二の人生を歩むに当たって自己分析をしていきました。そして今までの自分を振り返り【自分の得意な事・不得意な事を考えた上での自分の適正】を分析していきました。そして、その結果【インターネットでサイトを立ち上げてビジネスをしていくという可能性】がリンクしました。

しかし当時はまだ【漠然とインターネットビジネス展開をしていきたい】と強く感じていただけなので、まずは自らサイトを構築出来るようになれば、ビジネスを構築した時に初期投資低く素早くサイトを立ち上げてビジネスがスタートでき、かつビジネスが立ち上がった後も初めは自分が手を動かせれば素早く変更を加えられると考え、独学でWeb制作の勉強をはじめました。

この時の独学力は現場で起きた数々の課題も、クリアする為の大きな力になっていきました。法人化するまでの5年間で夢中になって走り続けたので、気がついたら専門書を500冊以上学んでいました(笑)

 

 

3年で独立を決めて走り抜いた3年間

29歳で実務経験が無いという事は、超後発組という事です。即ち年下の上司や先輩達の中で、アルバイトから入り込もうとしていたので、面接の時は「年齢」の事を常に尋ねられました。そして、何度も何度も面接に落ちましたが面接に落ちるたびに一喜一憂している暇は無かったので、一回一回の面接の後に、聞かれた質問は次の面接では返せるようにしトライ&エラーを繰り返しました。

そして、見事当時全国9拠点に営業所を構えていたWeb制作会社に入社しました。僕自身の目標としてWeb業界に入り込んだ僕は3年で独立すると決めていたので、土日は一日中Webの勉強、就業前終業後もWebの勉強。初めて入ったWeb制作会社の先輩からは「何を生き急いでいるの?」と言われるくらい追い込んでいました。

しかし、自らに鞭を打ち過ぎて一時燃え尽き燃え尽き症候群となり心を壊し3ヶ月糸が切れた時期もありました。(立ち直るまでの話は長いのでここでは割愛します。)勿論、Web業界に入っても、芸能の世界で完了出来なかった課題がやってきます。

才能ある若いWebデザイナー達と共に仕事をしていく中で、自分の才能に疑いを掛けて心が折れそうになったこともありました。でも、学び続け仕事もやり続けいく中で見えてくる【楽しさ】と【自分の可能性】を信じ続け諦めず走り続けました。そして、Web制作会社で制作のイロハを学び、SEO会社で検索エンジン周りのイロハを学び、Webコンテンツ会社でサイトを企画立案しビジネスを仕掛けていくことを学び3年間で独立しました。

 

フリーランスとして走った2年間

初めはどうやって仕事を取ったらいいかが分からなかったので、まだ劇団の研修生時代にバイトで入った光通信の営業手法でスタートしました。即ち、初めはテレアポとメール営業で広告代理店や制作会社に営業をし、下請けや孫請けの受託開発からスタートしました。

自己資金も100万弱のストックがあったですが、仕事を受注して納品後60日サイトの支払いが初めての仕事だったので、自己資金も底を尽き借金までしてしまいました。そこから一人でできる仕事は限られていると感じ、フリーランスの方々と組んで行ってより高度な案件を受注していくようになりました。

色々お客様に叱られながらも諦めずに走り続けて法人化出来るくらいになってきました。僕自身はお客様に沢山育てて頂いたと感じております。

 

法人化

2012年にイベントディレクターをしていた弟と法人化をしました。そして直ぐに法人化にご助力頂いた先輩経営者・お仕事を下さっていた先輩経営者・僕のWebマーケティングのメンターに役員に入って頂き株式会社TOTAL CREATIVE ENTERTAINMENTをスタートしました。

法人化したからと言って特別に変わった事は初めはなかったですが、法人化したお陰で受託開発の受注単価も上がったので、キャッシュフローが良くなっていったのでより仕事をやりやすくなりました。そして、Webマーケティングのメンターのお蔭もあり、法人化してから2年目で下請けを卒業し直受け案件をするようになり前金でお仕事をさせて頂くようになりました。

そして、3年目以降からWebマーケティングを駆使してノウハウとWordpressのテンプレート販売で大きな利益が上がるようになり、並行して自社サービスを色々仕掛けビジネスの幅が広がっていきました。Web業界に入って10年目でようやく初志にあった「インターネットでサイトを立ち上げてビジネスをしていく」というステージに入っていました。

 

最後に

29歳から独学でWeb業界に入りキャリアを積んで独立し法人化をしていった、自身の経験に基づくノウハウをあます事なく「デザキャリ!」でざっくばらんに全て公開していきます。

インターネットの世界は無限大に可能性が広がっています。これからWebデザイナーを目指すから、Webデザイナーとして転職をしキャリアップをしていきたい方、Webデザイナーとして独立し法人化したい方等の目標達成・夢実現のきっかけになる事が出来たら幸いです。

金子徹郎

  1. Webデザイナーが就職・転職におすすめな転職サイト8選+アプリ1選

    Webデザイナーになるには

    Webデザイナーが就職・転職する時におすすめの転職サイト8選+アプリ1選
  2. マイナビクリエイター

    ピックアップ 転職エージェント

    マイナビクリエイター
  3. 株式会社WORKPORT

    ピックアップ 転職エージェント

    株式会社WORKPORT(ワークポート)
  4. Webデザイナーが就職・転職為の8つの方法を比較

    Webデザイナーになるには

    Webデザイナーが就職・転職為の8つの方法を比較
  5. 2017年度版 Webデザイナーの平均年収

    Webデザイナーとは

    2017年度版 Webデザイナーの平均年収
PAGE TOP